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浦和地方裁判所 昭和55年(ワ)381号 判決 1982年10月20日

原告

石橋由美子

右法定代理人親権者父兼原告

石橋良介

右法定代理人親権者母兼原告

石橋道子

右訴訟代理人

福田拓

戸谷豊

被告

庄和町

右代表者町長

根岸精一

右訴訟代理人

紺藤信行

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一(原告ら)

原告由美子が、昭和四七年八月二八日午前四時四〇分、被告の設置するセンターで出生したこと、原告良介が原告由美子の父であり、原告道子が原告由美子の母であることは当事者間に争いがなく、成立について争いのない甲第一号証により原告由美子が脳性麻痺による全身不随で要介護の一種二級の身体障害者の認定を受けている(埼玉県第六〇三六一号昭和五〇年九月一六日)事実を認める。

二(契約の成立)

原告道子、同良介が、昭和四七年三月一日、センターに原告道子のために入所を申込み、センター所長より同年七月五日に入所の承諾を得、分娩の介助をその内容とする契約が成立し、右契約が、右契約当時胎児であつた原告由美子のための契約でもあることは当事者間に争いがない。

三(被告の債務不履行及び不法行為)

1  原告道子が、昭和四七年八月二七日、センターに入所したことは、当事者間に争いがない。

〈証拠〉によると次の各事実が認められる。

(一)  原告道子は、昭和四七年八月二七日午後八時ないし一〇時頃に陣痛発来し、翌二八日午前二時に血性分泌開始し、同日午前三時三〇分に自然破水したのち、同日午前四時に児頭の排臨に至り、同日午前四時四〇分原告由美子を頭位第一胎向にて娩出(同日午前四時四〇分に原告由美子が出生したことは前記のとおり当事者間に争いがない。)、同日午前四時五〇分胎盤が娩出した。

(二)  原告由美子は、体重三二〇〇グラム、身長五二センチ、胸囲33.5センチ、頭囲三三センチで出生し、出生直後に原告道子と対面した。

(三)  原告道子の出産後の経過には特に異常がなく、同人は、同日の朝食及び昼食を残さず食べ、同日午後四時五分頃、ベットから降りて自然排尿をした。

(四)  原告由美子は、翌二九日の午後に原告道子の側へ連れてこられ、同年九月四日の退院時まで原告道子がその世話をしたが、その際、原告道子は、原告由美子に特に異常を認めず、普通の子供であると考えていた。したがつて、原告良介、同道子はセンターの助産婦らに対し、出産時の状況及び原告由美子の状態について異常があつた旨の申出はしなかつた。

(五)  原告由美子は、同年一〇月一六日、同年一二月二五日、昭和四八年五月一四日及び同年八月二〇日にそれぞれ被告の実施した検診を受けたが、生後一〇ケ月頃に麻疹にかかつたほかはとりたてて異常は発見されず、原告道子は、助産婦に対し、原告由美子の発育状況について、首のすわり三ケ月、寝返し6.5ケ月、おすわり一一ケ月、歯牙発生一〇ケ月と述べた。

(六)  そして、昭和四九年八月二〇日の二才児検診の際、原告由美子は、未だ歩行できないことから発育の遅れが指摘され、同年一一月一三日埼玉県小児保健センターで検査を受けた結果、脳性麻痺と診断された。

証人伊藤良子、同丸山美恵の各証言のうち右認定に反する部分は、前掲各証拠及び鑑定の結果に照らし、措信できない。また、原告石橋道子本人の供述(第一回)中には、産れそうで産れない状態が一時間ぐらい続き、その間腰が痛い、けいれんが来た等をセンターの助産婦に訴えた旨の供述部分が存するが、右供述部分は、前掲安野証言及び鑑定の結果によれば正常分娩の場合にも産婦がけいれんを訴える場合のあることが認められることに照らし、措信することができない。

そして、鑑定の結果及び証人木下勝之の証言によれば、右の経過中、児頭の排臨から胎児娩出までの時間が四〇分間継続したことは、経産婦としては、通常の場合に比して、多少長めであることが認められるが、その余は特に異常な経過を辿つたものではないことが認められるのであつて、同証人の証言によれば、経産婦がけいれん陣痛を起こした場合には、むしろ娩出が早くなる傾向にあることが認められるのであるから、児頭の排臨から胎児の娩出までの時間が四〇分間継続したことをもつて、原告道子がけいれん陣痛の状態になつたと推認することはできない。

むしろ、前記認定の事実によれば、原告道子の分娩が不自然な状態で続いたために同人がけいれん陣痛の状態となつたとか、あるいは、原告道子がけいれん陣痛の状態となつたために原告由美子が脳萎縮の傷害を負つた等の事実を認めることができないことが明らかである。

2  〈証拠〉によれば、医師平山義人が、昭和四九年一一月一三日に原告由美子(当時満二歳二か月)を診察し、脳性麻痺及び精神発達遅延と診断したこと及び右脳性麻痺が陣痛開始から生後一週間までの間の周生期に生じた仮死等の異常に起因するものではないかと推測したことの各事実を認めることができる。

しかし、右の推測は、平山証言によれば、原告道子の話を聞いて、分娩時間が長ければ脳性麻痺が発生する可能性があると考えたことによるものであつて、原告由美子自身に仮死等のなんらかの周生期(陣痛が開始してから生後一週間まで)異常が存在したことを推測させる兆候が存在したことを意味するものでなく、平山医師自身当法廷において原告由美子の脳性麻痺の原因は不明であると証言しているのであるから、右の平山医師の推測をもつて、原告由美子に仮死等の周生期異常が存したものと認めることはできない。

3  更に、〈証拠〉によれば、医師落合幸勝は、昭和五一年六月三日、原告由美子(当時満三歳一一か月)を診察し、脳性麻痺及び精神発達遅滞と診断したこと及び入院患者病歴概要(乙第二一号証)に、分娩時に廻旋異常があり、仮死があつたらしい旨の記載をしたことの各事実を認めることができる。

しかし、右入院患者病歴概要の記載は、〈証拠〉によれば、診察時の原告道子の話をそのまま信用して記載したものと認められるのであつて、乙第二一号証の記載をとらえて原告由美子に周生期異常が存したものと判断することは到底できない。

4  また、〈証拠〉によると、昭和五二年五月三一日に行われた原告由美子(当時満四歳九か月)の脳波検査の結果、「境界」と判定された事実が認められるが、右事実をもつて、原告由美子の周生期異常を根拠づけることもできない。

そもそも、〈証拠〉によれば、脳性麻痺は、一九六八年度の厚生省脳性麻痺研究班により、受胎から新生児(生後四週間以内)までの間に生じた脳の非進行性病変に基づく、永続的な、変化しうる運動姿勢の異常であつて、進行性疾患や、一過性の運動障害または将来正常化するであろうと思われる運動性遅延は除外する旨定義されている事実及び脳性麻痺の発生時期の大半は周生期であるものの、出生前の原因によるものや、原因不明のものも少くないことが認められるのであるから、原告由美子が脳波検査の結果異常を示したことは、原告由美子が脳性麻痺であることの手がかりとはなつても、原告由美子が脳性麻痺となつた原因を推測する手がかりとなるものではない。

5  以上の次第で、原告道子がけいれん陣痛の状態となつたとか、あるいは、原告道子がけいれん陣痛の状態となつたために原告由美子が脳萎縮の傷害を負つた等の事実を前提とする原告らの本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がない。〈以下、省略〉

(手代木進 一宮なほみ 綿引穣)

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